人を好きになる理由は、あとからならいくらでも説明できる。
でも、その人を気にし始める瞬間は、たぶんもっと小さい。
特別な言葉をもらったときではなく、その人自身も覚えていないような仕草を見たとき。
少しだけ、もう一度会いたいと思う。
店を出るとき、自然に「ありがとう」と言う
会計が終わって、店を出る前に、店員さんのほうを見て「ありがとう」と言う。
誰かに見せるためでも、感じのいい人だと思われるためでもなく、普通に。
たぶん僕は、自分に向けられていないときの態度をよく見ている。
誰も見ていないものの前で、足が止まる
古い建物の窓。
道端に落ちた何か。
壁に残った文字。
ほとんどの人が通り過ぎるものの前で、その人だけが少し歩く速度を落とす。
「これ、なんだろう」
その一言だけで、普段どんなものを見ながら歩いている人なのか、少し知りたくなる。
好きなものの話になると、少しだけ別人になる
普段はあまり話さないのに、好きな映画や音楽の話になると、急に言葉が増える。
「あの場面が好きで」
そう言いながら、さっきまでと違う顔をする。
何を好きなのかと同じくらい、何かを好きでいるときのその人を見ていたいと思う。
知らないことを、知らないと言える
「それ、知らない」
「どういうこと?」
そんなふうに聞ける人が好きだ。
知識があることより、知らない自分を隠さなくていい人のほうが、一緒にいて気持ちがいい。
知らないものがあれば、そこから二人で見ればいい。
誰にも向けていない顔がある
少し離れたところで待っているとき。
窓の外を見ているとき。
何かを読んでいるとき。
こちらを意識していないその人の顔を、偶然見ることがある。
笑っているわけでも、何かを伝えようとしているわけでもない。
誰にも向けられていない表情には、その人だけの時間が残っている気がする。
疲れた日に、疲れたままでいる
「今日はちょっと疲れた」
そう言って、少し静かになる。
無理に笑わない。
無理に盛り上げない。
機嫌が悪いわけでもない。
いつも魅力的でいようとしなくても、そのままで隣にいられる人に惹かれる。
きれいなものを、撮らずに見ている
夕焼けや海を見ると、僕はついカメラを向ける。
だから、隣にいる人が何も取り出さず、ただ見ていると少し気になる。
残すことより、その瞬間にいることを選んでいる。
その人の記憶にしか残らない景色があることを、少し羨ましいと思う。
人が恥ずかしい思いをしたとき、見ないふりができる
誰かが言葉を間違えたとき。
物を落としたとき。
少しだけ失敗したとき。
大きく反応せず、本人が何もなかったことにしたいなら、そのままにしておく。
優しさは、何かをしてあげることだけではない。
見なかったことにする優しさもある。
そういうものは、たいてい小さすぎて本人は覚えていない。
僕は覚えている。
古くなったものを、そのまま使っている
何年も使っている鞄。
少し擦れた財布。
欠けた器。
新しいものに替えられるのに、まだ使っているものがある。
物持ちのよさだけではなく、そこに積もった時間まで、簡単には交換しない人なのかもしれないと思う。
別れたあと、一度だけ振り返る
駅の改札を通ったあと。
曲がり角の手前。
車のドアを閉めたあと。
もう別れたと思ったところで、一度だけこちらを見る。
手を振ることもある。
目が合うだけの日もある。
たった数秒なのに、帰り道で何度か思い出してしまう。
人を好きになるのは、もっと分かりやすい出来事のあとだと思っていた。
特別な場所へ行ったとか。
嬉しいことを言われたとか。
でも、実際に残っているのは、店を出るときの「ありがとう」だったり、誰も見ていない建物の前で立ち止まったことだったり、疲れた日に少し黙っていたことだったりする。
本人にとっては、たぶん何でもないことばかりだ。
それを一つ覚える。
また一つ覚える。
気づけば、次に会ったときにも、その人がどこで立ち止まるのか見ている。
たぶん人を好きになるというのは、その人の特別なところを探し当てることではない。
その人が特別だと思っていないところを、自分だけが少しずつ覚えていくことなんだと思う。



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