眠る前までは、まだ今日だった。

夜の部屋で、灯りのついた机と読みかけの本が残る静かな室内

これは、休日の夜に、なぜ眠ることを惜しく感じるのかをたどる記録です。

終わらせたくないのは一日ではなく、まだ何かを選べる状態なのかもしれません。

私たちは眠る直前まで、終わりを決めることを少しだけ先延ばしにしたいのかもしれません。

目次

休日の朝

目を覚まして、今日は何をしようかと考える。

本を読む。
映画を見る。
部屋を片づける。
気になっていた店へ行く。
何もしない。

どれを選んでもいい。

どれも選ばなくてもいい。

そういう休日を過ごしている人を想像する。

私のことではない。

朝から一日を広く見渡し、自分の好きなものを一つずつ選べる人としての私は、そこにはいない。

目が覚めても、すぐには起き上がらない。

何をしたいかより先に、身体がどこまで動けるかを確かめる。

カーテンの向こうの明るさを見る。

スマートフォンの時計を見る。

もう昼に近いことに気づく。

休日は、始まった瞬間から少しずつ形を変えている。

それでも、まだ今日が残っている。

起きれば何かできるかもしれない。

顔を洗えば。
着替えれば。
コーヒーを淹れれば。
外へ出る準備をすれば。

一つの動作の向こうに、別の一日が待っている気がする。

けれど、コーヒーを飲み終えても、その先が自然に始まるとは限らない。

机の上には、読みかけの本がある。

PCの画面には、途中まで開いた文章がある。

棚には、いつか使うつもりで置いたものがある。

どれも、今から手を伸ばせる距離にある。

それでも、一つを選ぶと、ほかの時間は閉じてしまう。

映画を見れば、本を読む時間が減る。

外へ出れば、部屋で過ごす時間がなくなる。

片づけを始めれば、何もしない休日ではなくなる。

始めていないものは、まだ失望を知らない。

読みかけの本は、まだ最後まで面白いかもしれない。

行かなかった場所には、まだ知らない景色があるかもしれない。

書かなかった文章は、まだ間違っていない。

だから、手をつけないまま残してしまう。

昼を過ぎる

時計の上では、まだ時間は残っている。

けれど、朝とは違う。

今から遠くへ行くには遅い。

映画を見るなら一本にした方がいい。

片づけを始めても、今日中には終わらない。

できることが減ったのではない。

選ばなければならないものが増えただけだった。

それでも決めなければ、机の上の本も、行かなかった場所も、まだ別の形のまま残っている。

夕方になる

窓の外の色が変わり始める。

朝には一日の始まりを知らせていた光が、今度は残り時間を知らせている。

どこかへ行くには遅い。

眠るにはまだ早い。

この時間になると、何か一つくらい、今日を使った証拠が欲しくなる。

出かける代わりに近所を歩く。

読み終えるためではなく、本を開く。

撮るものを探して、窓の外を見る。

本当にそれをしたかったのかは分からない。

ただ、何も残らない一日になることだけは避けたかった。

一日を振り返ると、したことより、しなかったことの方がよく見える。

行かなかった場所。

読まなかった本。

返さなかった連絡。

書かなかった文章。

終わったものには形がある。

終わらなかったものだけが、別の一日になれたかもしれない姿のまま残る。

夜になる

外へ出る理由はなくなり、部屋の中でできることだけが残る。

すると、もう一度だけ一日が広がったように感じる。

本なら読める。

映画も見られる。

文章も書ける。

机の上も片づけられる。

昼間には選ばなかったものを、今から取り戻せるような気がする。

けれど、時間が増えたわけではない。

閉じていったものが多くなったことで、残ったものだけが大きく見えている。

22時を過ぎる。

まだ早いと思う。

23時を過ぎる。

何かを始めるには遅い。

それでも眠るには惜しい。

この頃になると、始めたいことより、終わらせたくないものが増えていく。

本を開いても最後までは読めない。

映画を始めれば、眠る時刻が遅くなる。

文章を書き始めても、途中で閉じることになる。

それでも、何かに触れていたくなる。

終わらせるためではない。

今日がまだ続いていると思うために。

冷蔵庫を開ける。

飲み物を取り出す。

スマートフォンの画面を見る。

前に見たものを、もう一度見る。

急いでいるわけではない。

ただ、眠る準備だけを後回しにしている。

歯を磨けば、もう寝ることになる。

明かりを落とせば、部屋が今日を閉じる。

布団に入れば、残っていた選択肢がなくなる。

眠ることは、休むことだと分かっている。

明日のためにも、身体のためにも、必要なことだ。

それでも、眠る準備を始める瞬間だけ、今日を手放す感覚がある。

日付が変わる

零時を過ぎても、部屋は何も変わらない。

机の上の本も、冷めた飲み物も、途中で止まった画面も、そのまま残っている。

昨日と今日の境界は、時計の数字にしかない。

日付が変わった直後だけ、昨日と今日が同じ部屋にいる。

そこで時計を見る。

もうこんな時間だと思う。

少し前まで、まだ時間があると思っていた。

数字を見た瞬間、その時間は「遅すぎる時間」に変わる。

明日の予定が頭に浮かぶ。

眠らなければならない理由が戻ってくる。

ようやく立ち上がる。

本を閉じる。

画面を消す。

コップを流しへ運ぶ。

今日できたかもしれないことを、明日へ戻していく。

本はまた開ける。

文章も続けられる。

外へは別の日に出ればいい。

それでも、今日それを選べた時間は戻らない。

休日は、日付が変わったときには終わらない。

布団へ入り、もう何も選ばないと決めたときに終わる。

眠る直前、今日を振り返る。

本当は何をしたかったのだろう。

出かけたかったのか。

何かを作りたかったのか。

ただ休みたかったのか。

分からない。

もしかすると、欲しかったのは何かをする時間ではなかったのかもしれない。

まだ何でもできると思える時間だった。

選ばなかったものを、まだ失われていないものとして置いておける時間だった。

休日を惜しんでいるのではない。

休日の中に残っていた、まだ選ばれていない自分を惜しんでいる。

やがて、目を閉じる。

読みかけの本は机の上に残る。

開かれなかった扉は、そのまま閉じている。

明日へ持ち越された予定が、次の日へ続いていく。

眠っているあいだに、今日だったものは昨日になる。

朝になれば、また別の時間が始まる。

それでも、休日の夜に手放せなかったものは、時間そのものではなかった。

まだ何かができると思っていた、その状態だった。

だから私たちは、眠る直前まで今日を延ばす。

一日を長くしたいからではない。

終わっていないものを、最後まで終わらせないために。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次