皮膚の下にあるもの
血を見ると、人間は一瞬だけ思考が止まる。
赤い液体。
裂けた皮膚。
普段は隠されている身体の内部。
それが突然、自分の外側に現れる。
痛みより先に、違和感がある。
これは自分の身体なのか。
確かに自分の腕。
自分の手。
自分の指。
自分の皮膚。
それなのに、傷口から現れたものは、少しだけ自分とは違うものに見える。
自分の中に存在していた、知らないものを見てしまったように。
人間は、自分の身体の内部を見ない。
皮膚の下には血が流れ、肉があり、骨がある。
知識として理解していても、普段それを意識することはない。
皮膚という境界が、内側と外側を分けているからだ。
しかし傷は、その境界を破る。
閉じられていた場所が開く。
守られていたものが露出する。
その瞬間、人間は自分が肉体であることを思い出す。
傷を見ると、人は目を逸らす。
怖いから。
気持ち悪いから。
自分にも起こるかもしれないから。
しかし、完全には目を離せない。
見たくない。
でも見てしまう。
嫌悪と好奇心。
恐怖と興味。
相反する感情が同時に存在する。
なぜ人間は、傷ついた身体から目を離せないのだろう。
傷は、身体が壊れた場所だ。
身体が裂けた箇所だ。
しかし同時に、身体が修復を始めた場所でもある。
血は止まる。
細胞は働く。
身体は失われた部分を埋めようとする。
それでも完全には戻らない。
皮膚の色が変わる。
硬さが残る。
線として刻まれる。
身体は、経験したことを完全には消去しない。
心は忘れようとする。
言葉は整理しようとする。
記憶は形を変える。
しかし身体だけは、そこにあったことを残す。
傷跡として。
変化した皮膚として。
以前とは違う身体として。
そう考えると、誰もが一つくらい身体に残った記録を持っている。
子供の頃、転んで膝を擦りむいた。
地面のざらつき。
突然走る痛み。
赤く滲んだ皮膚。
水で洗った時の刺すような感覚。
治りかけの瘡蓋を、何度も確認した記憶。
いつの間にか傷は消える。
しかし身体は、完全には元に戻らない。
小さな跡として残る。
事故。
病気。
暴力。
本人が望まなかった出来事。
他人から見れば「生きた証」に見えるものが、その人にとっては忘れたい痛みであることもある。
だから傷に勝手な意味を与えることはできない。
それでも私は、傷に奇妙な美しさを感じる。
それは努力の証だからではない。
強さの証明だからでもない。
ただ、その身体が存在していた証拠だからだ。
世界に触れた。
何かを受けた。
変化した。
それでも残った。
傷は、身体が世界と接触した場所なのかもしれない。
生きることは、何にも触れずに存在することではない。
歩けば足に負荷がかかる。
手を使えば皮膚は変化する。
世界と関われば、身体には何かが残る。
「生き抜いた」という言葉がある。
しかし人生のすべてが、綺麗な物語になるわけではない。
意味を見つけられない時間。
ただ過ぎてしまった出来事。
選ぶことのできなかった経験。
それでも身体は、その時間を通過している。
生き続けてしまったことを、口より先に身体が語る。
その傷ができた瞬間を、他者は知らない。
その痛みを、完全に理解することもできない。
しかし、身体だけは知っている。
そこにいたこと。
そこを通過したこと。
そして、今も存在していること。
傷は、美しいのか。
醜いのか。
その答えは、人によって変わる。
傷は、痛みでもある。
恐怖でもある。
記憶でもある。
そして、生きていた証でもある。
皮膚の下にあるもの。
隠されているもの。
見たくないもの。
それでも、人間が存在する限り残り続けるもの。
生き続けてしまったことを、口より先に身体が語る。


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