止まっても死ななかったを学ぶために。

木漏れ日のある遊歩道。止まることを覚えようとしている時間。

「歩く瞑想ですね」

そんなコメントをもらった。

でも、自分としては瞑想をしているつもりはなかった。

どちらかというと、何もしないことへの不安を少しずつ身体に慣らしていた感覚に近い。

ただ歩く。
空を見る。
ぼーっとする。

何も得ないまま帰る。

本当はそれだけなのに、途中で何度も

「こんなことしてて大丈夫か」
「時間を無駄にしてないか」
「何か意味を持たせた方がいいんじゃないか」

そんな考えが浮かぶ。

写真を撮っても、投稿できるかを考える。

散歩していても、何か回収できるかを探してしまう。

気付けば休むことすら “成果” に変えようとしていた。

たぶん長い間、

” 止まること = 置いていかれること “

みたいな感覚が身体のどこかにあったんだと思う。

何もしていない自分には価値が無い気がしていた。

でも最近、少しだけ試している。

意味のない時間を、意味のないまま終わらせることを。

別に人生が劇的に変わったわけじゃない。

不安はあるし焦りも消えていない。

将来のことを考えると、怖くなる。

それでも、

ぼーっと空を見ても、
何も生み出さなくても、
少し立ち止まっても、

すぐに人生が壊れるわけではなかった。

止まっても、死ななかった。

たぶん、今の自分にはその感覚を覚え直すことが必要なんだと思う。

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