廊下の幅は、七十八センチだった。
古い床板を運び出すには少し狭い。長いものは立てて通すことにした。
六畳の和室を洋室に変える工事だった。
畳はすでに撤去され、下の板が露出している。
古い床板を剥がし、傷んだ下地を取り替えて、新しい床材を張る。壁と天井には触れず、仕上がりの高さを廊下に合わせる予定だった。
図面には部屋の寸法が記載されていたが、実際に測ると、壁の位置が数ミリずれていることもある。
古い家では珍しくなかった。
家主は奥の部屋にいた。
「ここを通りますので」
声をかけると、男は廊下の小さな棚を壁際へ寄せた。
棚の上にはラジオと眼鏡、何通かの郵便物が置かれていた。
ラジオからは天気予報が流れている。
男は廊下を見て、棚をもう少し押した。
「これで通れますか」
「大丈夫です。ありがとうございます」
男は奥の部屋へ戻った。
棚の脚があった場所には、埃のない四角い跡が残っていた。
最初の床板は簡単に外れた。
二枚目には釘が三本残っていたので、バールを差し込んで少し浮かせ、一本ずつ抜いた。
三枚目に取りかかるころには、床下の乾いた埃が舞い始めていた。
外した板は長さごとに分け、廊下の壁に沿わせて重ねていった。
四枚目に細い傷があった。
木目を横切って緩やかに曲がり、隣の板へ続いている。
何かを引きずった跡にしては幅がほとんど変わらず、同じ場所を繰り返しこすったように、何本かの線が重なっていた。
手袋で埃を払うと、傷は壁際へ向かって浅くなり、途中で消えていた。
以前、この位置で何かを開け閉めしていたのかもしれない。
扉の下端が床に触れていたなら、似た傷ができることもある。
ただ、中心にあたる場所には壁があり、開口部は見当たらなかった。
板を持ち上げて裏返した。
裏側には釘穴があるだけだった。
家主が湯飲みを持ってきたのは、そのときだった。
「それ、何の跡ですか」
男は床板を見ていた。
「わかりません。昔、何かを動かしていたのかもしれません」
「扉とか?」
「そういう形にも見えますね」
男は壁に目を向けた。
「ここに扉があったら、押入れにぶつかりますよね」
「今の間取りなら、そうですね」
「私が来たときから、ここは押入れでしたから」
男は湯飲みを作業台の端に置いた。
板を廊下へ運び、ほかのものと重ねた。
傷のある面は、次の板を載せると見えなくなった。
男はしばらく廊下に立っていたが、やがて奥へ戻っていった。
ラジオから交通情報が聞こえ始めた。
午前中に床板をすべて外した。
畳があったときより床が低くなり、歩くと足音も違った。
押入れ側の下地には一部傷んだ木材があり、交換する範囲に印をつけた。
材料は予定していたもので足りそうだった。
作業を続けていると、家主が廊下から声をかけた。
「外した板って、全部捨てるんですか」
「はい。処分する予定です」
「一枚もらえます?」
「何かに使うんですか」
「棚を一段増やそうかと思って。物が増えちゃって」
男が指したのは、朝、壁際へ動かした廊下の棚だった。
木製の支柱が二本あり、上の段にはラジオ、下の段には新聞と小さな箱が置かれていた。
棚の中ほどには何もなく、左右の支柱には、以前何かを固定していたような小さな穴が残っている。
「ここにもう一段入れたいんです」
「固定しないと危ないですよ」
「そうですか」
「何を載せる予定ですか」
「本とか、小さい箱とか。そんなに重いものじゃないですけど」
男はラジオの横に積まれた郵便物を取り、別の場所へ移した。
「これも、いつも置き場所がなくて」
話しながら、郵便物を元の場所へ戻した。
古い床板には反りや釘穴がある。
棚に使うなら、材の状態と固定方法を確かめる必要があった。
「新しい材料の方が、きれいにはできますよ」
「そうでしょうね」
男は頷いた。
「でも、捨てるなら一枚くらい使えるかなと思って」
「使えそうなものを選びましょう」
男が奥からメジャーを持ってきた。
二人で棚の内側を測ると、手前の幅はおよそ百十九センチだった。
「百二十ぐらいだと思ってたんですけどね」
「奥も見ておきましょう」
メジャーを奥へ入れると、手前よりわずかに狭かった。
「違います?」
「少しだけ」
男は数字を覗き込んだ。
「古いからですかね」
「柱の位置が少しずれているのかもしれません」
男は棚の側面に手を当てた。
見た目には、どちらの支柱もまっすぐだった。
「ぱっと見てもわからないですね」
「このくらいなら、測らないとわからないこともあります」
奥行きは十五センチほどあった。
廃材の束から、割れの少ない板を一枚選んだ。
長さは十分だったが、幅は十三センチほどしかない。
「少し細いですけど」
「それくらいなら大丈夫です」
板を裏返し、釘が残っていないか確かめた。
端には小さな割れがあり、途中に古い釘穴が二つあった。
男が表面を指でなぞろうとした。
「ささくれがありますから、気をつけてください」
男は手を引っ込めた。
「これ、床に使ってたんですよね」
「そうです」
「思ってたより細いんですね」
「何枚も並べて張ってありますから」
男は板の長さを見ていた。
「床にあったときは、こんなに長く見えなかったです」
板の片端を持ち上げると、男が反対側を支えた。
二人で廊下を運んだ。板は通路を斜めに横切り、男は棚の前で持ち方を変えた。
片端を下げて支柱の間に入れようとしたが、そのままでは長すぎた。
「切れば入りますか」
「入ります。もう一度測ってから切りますね」
板を壁際に置き、棚の手前と奥を測り直した。
男は棚を少し動かそうとした。
「今はそのままで大丈夫です。棚の位置を決めてから、板を合わせましょう」
「ああ、そうですね」
男は手を離した。
「こんなに測るものなんですね」
「切ってしまうと、長さは戻せませんから」
「そうですよね」
「午後、床の作業が落ち着いたら切ります」
「急ぎませんから」
男はラジオの音量を少し下げ、奥へ戻った。
午後は下地を調整した。
傷んだ木材を取り替え、既存の材との高さを合わせる。
水平器を当てると、部屋の奥で数ミリの差があった。
薄い調整材を入れて固定し、もう一度確かめた。
家主は何度か廊下を通ったが、作業中の部屋には入ってこなかった。
一度、台所へ向かう途中で立ち止まった。
「これで平らになるんですね」
「仕上げを張る前に、もう一度確認します」
男は下地を眺めた。
「見た目では、もう平らですけどね」
「歩くとわかることもありますから」
男は試しに足を踏み出しかけたが、床に置かれた工具を見てやめた。
「完成してからにします」
三時を過ぎたころ、棚に使う板を切った。
割れのある端を落とし、測っておいた狭い方の寸法を基準に、固定するときの余裕を見込んで切り詰めた。
切り口を整え、男と一緒に棚まで運んだ。
ラジオを止めてもらった。
さっきまで聞こえていた話し声が消え、外を走る車の音が残った。
「当ててみます」
板を支柱の間に入れた。
左側は収まったが、右の奥で少し引っかかった。
「ここですね」
板を引き出し、当たっていた位置を確かめた。
支柱には古い塗膜の盛り上がった部分があり、板の角がそこに触れていた。
「もう少し短くした方がよさそうです」
「どれくらい?」
「五ミリほどです」
メジャーを当てて見せた。
男は顔を近づけた。
「ほんの少しですね」
「そうですね」
「そんな少しでも入らないんですか」
「ここが当たっていますから」
男は支柱を指で触った。
「こっちを削ったらどうですか」
「それでも入りますけど、棚はそのままにして、板を短くした方が簡単です」
「じゃあ、それでお願いします」
外でもう一度切った。
丸鋸の刃が木を通り抜けると、細い端材が作業台の向こうへ倒れた。
切り口を整えて戻る。
今度は板が支柱の間に収まった。
男は両端を交互に見た。
「入りましたね」
「はい」
男が右側の端を軽く押すと、板が少し動いた。
「このままだと落ちます?」
「動くことがあります。固定してから使ってください」
金具を留められそうな位置を示した。
「表面も少し荒れています。紙やすりをかけた方がいいですよ。角も少し丸めた方が使いやすいです」
「それなら自分でやってみます」
男は板を取り外し、壁際に立てかけた。
「取り付けるのは、いつでもいいですか」
「大丈夫です。ただ、固定するまでは物を載せないでください」
「わかりました」
男はラジオの横にあった郵便物を手に取り、棚の空いた部分を見た。
それから郵便物を元の場所へ戻した。
ラジオのスイッチを入れると、午後のニュースが始まっていた。
夕方、下地の調整を終えた。
部屋の入口に立ち、廊下との高さを最後に確認した。
水平器の気泡は中央にあり、仕上げ材を載せれば予定の高さになる。
翌朝から新しい床材を張る。
工具を片づけて玄関へ向かうと、棚の横に板が立っていた。
下端が通路にはみ出していたので、家主に声をかけた。
「これ、少し動かしてもいいですか」
男は奥から出てきて、板を持ち上げた。
「ここなら邪魔にならないですか」
棚の向こう側へ移してくれた。
「大丈夫です」
残りの廃材を車に積み込んだ。
長い板を下に重ね、短いものを隙間に入れる。
一本だけ先の曲がった板があり、そのままでは荷台の端から飛び出しそうだった。
向きを変えて差し込むと収まった。
束をロープで締め、手で揺すった。動かなかった。
道具箱の数を確認し、荷台を閉めた。
玄関に戻ると、家主がさっきの板を持っていた。
「これ、もう少しここに置いておいても大丈夫ですか」
「邪魔にならない場所なら大丈夫ですよ」
「そうですよね」
男は板を棚の前に運び、床に寝かせた。
板は廊下を横切る形になった。
「ここも邪魔ですね」
男はもう一度持ち上げ、廊下に沿わせるように置き直した。
「これなら通れますか」
作業員は玄関から奥の部屋へ向かって歩いた。
板の角に足が当たることはなかった。
「大丈夫です」
男はそれを見てから、板をもう少し壁に寄せた。
「明日は九時でしたね」
「はい。材料が届いたら始めます」
「よろしくお願いします」
男は玄関まで見送りに来た。
作業員は靴を履き、車へ戻った。
エンジンをかける前に、翌日の材料の数量を確認した。
新しい床材は必要な枚数が揃っている。下地用のねじも残っていた。
車の窓から家を見ると、玄関の扉がまだ開いていた。
男が廊下の奥から戻り、棚の横に置いた板を持ち上げるのが見えた。
片端が床を滑り、短い音がした。
男は板を立てかけようとして手を止め、向きを変えた。
それから、棚の横へ寝かせた。
少し離れて見たあと、片端を数センチだけ壁に寄せた。
男は玄関へ戻り、扉を閉めた。
作業員は車を出した。
角を曲がるとき、荷台の奥で板が一度だけ小さく鳴った。


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