私の仕事には、泣いてはいけないという規則はない。
それでも、泣かない方がいい。
涙が出ると画面が見えにくくなる。
鼻をすすればマイクに入ることがある。
呼吸が乱れると、言葉を追うのが遅れる。
何より、泣いているあいだにも、人は話し続ける。
だから私は、泣かない。
正確には、
泣くのを後ろへ送る。
生放送の字幕をつくる仕事を始めて七年になる。
ニュース。
記者会見。
国会中継。
スポーツ。
災害情報。
選挙。
謝罪会見。
受賞式。
引退会見。
結婚報告。
離婚報告。
誰かが生まれ、
誰かが辞め、
誰かが謝り、
誰かが失敗し、
誰かが勝ち、
誰かが負ける。
話された言葉がイヤホンに届く。
聞く。
意味を取る。
文字にする。
確認する。
送る。
少し遅れて、画面の下に文章が現れる。
私の仕事は、そこまでだ。
その言葉が正しいか。
嘘か。
残酷か。
美しいか。
そんな項目はない。
あるのは、
話されたか。
話されなかったか。
それだけ。
新人の頃、一度だけ生放送中に泣いた。
高校野球だった。
負けたチームの主将がインタビューを受けていた。
ありふれた場面だったと思う。
彼は何度も、
「すみません」
と言った。
監督に。
チームメイトに。
応援してくれた人に。
最後に、
「親に」
と言った。
そこで声が止まった。
彼は泣かなかった。
泣かないまま、
「ずっと野球させてもらったので」
と言った。
私は、その「ので」の途中で泣いた。
理由は分からなかった。
自分が高校生だったわけでもない。
野球をしていたわけでもない。
彼の親を知っているわけでもない。
それなのに突然、喉が狭くなった。
鼻の奥が熱くなった。
画面の文字がぼやけた。
まずい、と思った。
泣くな。
泣くな。
泣くな。
そう考えた瞬間から、余計に駄目になった。
目を意識した。
喉を意識した。
鼻を意識した。
呼吸を意識した。
涙が落ちそうかどうかを確認した。
確認しているあいだにも、主将は話していた。
私が、
「ずっと野球させてもらったので」
を送り出したころには、
本人はもう、
「ありがとうございました」
と言い終えて頭を下げていた。
放送が終わったあと、先輩は私を叱らなかった。
ただ、
「顔を見ると遅れることあるよ」
と言った。
それから少し考えて、
「言葉だけ取ればいいときもあるから」
と言った。
それから、泣きそうなときに何をすれば仕事を続けられるかを覚えた。
上を向くとか、
瞬きを止めるとか、
舌を上顎につけるとか、
最初はいろいろ試した。
上を向けば画面が見えない。
瞬きを止めれば目が乾く。
息を止めれば、そのあと余計に苦しい。
結局、残ったのはもっと地味なことだった。
人の顔から視線を外す。
目の前の文字を見る。
呼吸を少し遅くする。
何か別のことを頭の端で数える。
そして、
泣くな、
とは考えない。
世界全部を相手にしない。
次の一文だけ。
それでかなり違った。
大きな地震のあと、
家族を探している人のインタビュー。
画面を見る。
固有名詞を確認する。
文字にする。
長年続いた店を閉める人。
呼吸を遅くする。
聞く。
送る。
引退する選手。
曜日を頭の中で逆に言う。
日。
土。
金。
木。
謝罪する社長。
入力。
確認。
送信。
それを繰り返すうちに、たいていの放送では泣かなくなった。
六月のある日、
午後四時から特別番組が入った。
予定表には、
「市民会館閉館式典」
とあった。
地方局の一時間番組だった。
市長。
館長。
利用者代表。
合唱。
過去の映像。
最後に記念撮影。
私は放送前に資料を確認した。
開館、一九七三年。
大ホール、一二〇〇席。
改修年。
歴代館長。
出演団体。
人名を辞書に入れる。
読みを確認する。
特に難しい仕事ではないと思った。
放送が始まった。
最初の二十分は予定通りだった。
市長が話した。
文字にした。
館長が話した。
文字にした。
過去の映像が流れた。
用意されている原稿を確認しながら送る。
私は紙コップの水を飲んだ。
そのあと、
利用者代表として一人の女性が舞台に上がった。
八十歳前後に見えた。
名前は資料にあった。
女性はマイクを少し下げてもらった。
「ええと」
と言った。
客席を見た。
「何しゃべろかなって、いろいろ考えてきたんですけど」
少し笑った。
「こうやって立ったら、もう全部飛びました」
客席から笑い声がした。
女性は四十年以上、市民合唱団にいたという。
毎週水曜日。
夕方から。
第二練習室。
雨の日も来た。
夫と喧嘩した日も来た。
子どもが家を出たころも来た。
病院で検査を受けた帰りにも来た。
「昔はね、歌が好きやから来てるんやと思ってたんです」
女性は言った。
「もちろん歌も好きなんですけど」
少し間があった。
「でも、だんだん、それだけちゃうなって」
私は文字にした。
「水曜日になったら、ここ来るんですよ」
女性は続けた。
「六時半からやけど、みんなちょっと早よ来るから」
「私もだいたい二十分くらいには来てて」
「受付の人がおったり、掃除してる人がおったりして」
「別に話すわけでもないんですけどね」
そこで女性は笑った。
「顔見たら、ああ、今日も来たな、みたいな」
私は中央の画面を見ていた。
右側には女性の顔が大きく映っていた。
そちらは見なかった。
「名前知らん人も、いっぱいいます」
女性は言った。
「向こうも私の名前なんか知らんと思います」
「でも何十年も、毎週同じ時間に会ってる人っているんですね」
喉の奥に変化が出た。
私は少しゆっくり息をした。
視線を文字へ戻した。
世界全部を相手にしない。
次の一文だけ。
「家族とも違うしね」
女性は言った。
「友達って言うほど話してへん人もいるし」
「なんて言うんでしょうね、こういうの」
客席を見た。
誰かが小さく笑った。
女性も笑った。
「まあ、分からんけど」
それで話は続いた。
「ここに来たら、水曜日やなって思えたんです」
私はその文を打った。
一度だけ、
指が止まりかけた。
すぐに続きを聞いた。
「一週間がちゃんと進んでる感じがしたんかな」
女性自身もよく分からないような言い方だった。
「そんな大したことちゃうんですけど」
と付け足した。
私はその言葉も字幕にした。
女性はしばらく、市民会館であった出来事を話した。
発表会。
練習。
忘年会。
若い団員が入ってきたこと。
亡くなった人のこと。
途中から来なくなった人のこと。
知らないうちに杖を使うようになった人。
自分もいつの間にか、椅子に座って歌うようになったこと。
それから、
「来週から練習場所が変わるんです」
と言った。
「新しいところ、きれいらしいです」
客席から誰かが、
「そうそう」
と言った。
女性はそちらを見た。
「エレベーターもあるしね」
また笑いが起きた。
「だから、別に困るわけじゃないんです」
女性は言った。
「歌う場所はあるから」
少し間があった。
「ただ」
そのあとが続かなかった。
私は待った。
客席も待った。
数秒。
女性は口を開いた。
閉じた。
もう一度マイクに近づいた。
「明日から、ここには来られへんのやなと思ったら」
そこでまた止まった。
字幕欄には、
明日から、ここには来られへんのやなと思ったら
だけが残った。
女性は少し笑った。
困ったときにするような笑い方だった。
「どこ行ったらええんやろね」
と言った。
喉が閉じた。
私は右側を見なかった。
文字。
カーソル。
入力欄。
少し息を遅くした。
日。
土。
金。
そこまででやめた。
女性は続けた。
「あ、新しい練習場所行くんですけどね」
客席から笑いが起きた。
女性も笑った。
「そういう意味やないんですけど」
また少し黙った。
「まあ、長いこと、ありがとうございました」
私は文字にした。
長いこと、ありがとうございました。
句点。
送る。
拍手が起きた。
そのあと合唱があった。
歌詞は事前に用意されていた。
私は少し手を休めた。
ヘッドホンから歌が聞こえた。
机を見る。
キーボード。
紙コップ。
進行表。
赤いボールペン。
スマートフォン。
四角いものを五つ数えた。
少しして、視界が戻った。
番組の最後、
司会者が言った。
「それでは、五十三年の歴史に幕を下ろします」
私はその言葉を送った。
少しして、生放送が終わった。
スタッフが片づけを始めた。
ファイルを閉じる。
機材を外す。
放送内容を確認する。
私も記録を見直した。
一か所、
「第二練習室」を「第二研修室」としていた。
数字にも一か所ずれがあった。
確認事項として残す。
誤変換。
聞き取り違い。
そういう言葉を書く。
入力者の感情、
という項目はない。
女性のところをもう一度見た。
話が止まったところには字幕がない。
画面には女性がいる。
息をしている。
客席も黙っている。
でも文字はない。
そのあと、
明日から、ここには来られへんのやなと思ったら
と出る。
また何もない時間がある。
どこ行ったらええんやろね。
字幕は、話されたものを残す。
話されなかったものは残らない。
沈黙。
呼吸。
途中でやめた言葉。
それらは入力できない。
けれど、
何もなかったわけではない。
帰りの電車で、市民会館について検索した。
建物は解体される。
跡地には新しい複合施設ができる予定だった。
図書館。
子育て支援施設。
商業施設。
多目的スペース。
新しいホール。
なくなるわけではない。
機能が移るだけ。
私はそう考えた。
それから、
自分が何をしているのか分かって、
検索画面を閉じた。
電車は川を渡っていた。
泣きそうになった。
私は床を見た。
ゆっくり呼吸した。
日。
土。
金。
木。
そこまで考えて、
やめた。
もう仕事は終わっている。
私は正確でなくていい。
窓の外を見た。
川に夕方の光が残っていた。
涙は出なかった。
翌朝、
私はまた仕事をした。
ニュース。
天気。
事故。
株価。
会見。
聞く。
文字にする。
確認する。
送る。
泣きそうなときは、
今まで通り視線を外した。
呼吸を遅くした。
曜日を逆に言った。
世界全部ではなく、
次の一文だけを見た。
それで仕事は続いた。
放送が終わったあとも、
前の日の女性の声が残っていた。
ここに来たら、水曜日やなって思えたんです。
それから、
文字にならなかった時間。
人が言葉を探して、
見つからないまま立っていた数秒。
私の仕事には、
泣いてはいけないという規則はない。
だから今日も、
泣かない。
必要なあいだだけ。
そのあとについては、
規則がない。誤字は感情として扱われません
私の仕事には、泣いてはいけないという規則はない。
それでも、泣かない方がいい。
涙が出ると画面が見えにくくなる。
鼻をすすればマイクに入ることがある。
呼吸が乱れると、言葉を追うのが遅れる。
何より、泣いているあいだにも、人は話し続ける。
だから私は、泣かない。
正確には、
泣くのを後ろへ送る。
生放送の字幕をつくる仕事を始めて七年になる。
ニュース。
記者会見。
国会中継。
スポーツ。
災害情報。
選挙。
謝罪会見。
受賞式。
引退会見。
結婚報告。
離婚報告。
誰かが生まれ、
誰かが辞め、
誰かが謝り、
誰かが失敗し、
誰かが勝ち、
誰かが負ける。
話された言葉がイヤホンに届く。
聞く。
意味を取る。
文字にする。
確認する。
送る。
少し遅れて、画面の下に文章が現れる。
私の仕事は、そこまでだ。
その言葉が正しいか。
嘘か。
残酷か。
美しいか。
そんな項目はない。
あるのは、
話されたか。
話されなかったか。
それだけ。
新人の頃、一度だけ生放送中に泣いた。
高校野球だった。
負けたチームの主将がインタビューを受けていた。
ありふれた場面だったと思う。
彼は何度も、
「すみません」
と言った。
監督に。
チームメイトに。
応援してくれた人に。
最後に、
「親に」
と言った。
そこで声が止まった。
彼は泣かなかった。
泣かないまま、
「ずっと野球させてもらったので」
と言った。
私は、その「ので」の途中で泣いた。
理由は分からなかった。
自分が高校生だったわけでもない。
野球をしていたわけでもない。
彼の親を知っているわけでもない。
それなのに突然、喉が狭くなった。
鼻の奥が熱くなった。
画面の文字がぼやけた。
まずい、と思った。
泣くな。
泣くな。
泣くな。
そう考えた瞬間から、余計に駄目になった。
目を意識した。
喉を意識した。
鼻を意識した。
呼吸を意識した。
涙が落ちそうかどうかを確認した。
確認しているあいだにも、主将は話していた。
私が、
「ずっと野球させてもらったので」
を送り出したころには、
本人はもう、
「ありがとうございました」
と言い終えて頭を下げていた。
放送が終わったあと、先輩は私を叱らなかった。
ただ、
「顔を見ると遅れることあるよ」
と言った。
それから少し考えて、
「言葉だけ取ればいいときもあるから」
と言った。
それから、泣きそうなときに何をすれば仕事を続けられるかを覚えた。
上を向くとか、
瞬きを止めるとか、
舌を上顎につけるとか、
最初はいろいろ試した。
上を向けば画面が見えない。
瞬きを止めれば目が乾く。
息を止めれば、そのあと余計に苦しい。
結局、残ったのはもっと地味なことだった。
人の顔から視線を外す。
目の前の文字を見る。
呼吸を少し遅くする。
何か別のことを頭の端で数える。
そして、
泣くな、
とは考えない。
世界全部を相手にしない。
次の一文だけ。
それでかなり違った。
大きな地震のあと、
家族を探している人のインタビュー。
画面を見る。
固有名詞を確認する。
文字にする。
長年続いた店を閉める人。
呼吸を遅くする。
聞く。
送る。
引退する選手。
曜日を頭の中で逆に言う。
日。
土。
金。
木。
謝罪する社長。
入力。
確認。
送信。
それを繰り返すうちに、たいていの放送では泣かなくなった。
六月のある日、
午後四時から特別番組が入った。
予定表には、
「市民会館閉館式典」
とあった。
地方局の一時間番組だった。
市長。
館長。
利用者代表。
合唱。
過去の映像。
最後に記念撮影。
私は放送前に資料を確認した。
開館、一九七三年。
大ホール、一二〇〇席。
改修年。
歴代館長。
出演団体。
人名を辞書に入れる。
読みを確認する。
特に難しい仕事ではないと思った。
放送が始まった。
最初の二十分は予定通りだった。
市長が話した。
文字にした。
館長が話した。
文字にした。
過去の映像が流れた。
用意されている原稿を確認しながら送る。
私は紙コップの水を飲んだ。
そのあと、
利用者代表として一人の女性が舞台に上がった。
八十歳前後に見えた。
名前は資料にあった。
女性はマイクを少し下げてもらった。
「ええと」
と言った。
客席を見た。
「何しゃべろかなって、いろいろ考えてきたんですけど」
少し笑った。
「こうやって立ったら、もう全部飛びました」
客席から笑い声がした。
女性は四十年以上、市民合唱団にいたという。
毎週水曜日。
夕方から。
第二練習室。
雨の日も来た。
夫と喧嘩した日も来た。
子どもが家を出たころも来た。
病院で検査を受けた帰りにも来た。
「昔はね、歌が好きやから来てるんやと思ってたんです」
女性は言った。
「もちろん歌も好きなんですけど」
少し間があった。
「でも、だんだん、それだけちゃうなって」
私は文字にした。
「水曜日になったら、ここ来るんですよ」
女性は続けた。
「六時半からやけど、みんなちょっと早よ来るから」
「私もだいたい二十分くらいには来てて」
「受付の人がおったり、掃除してる人がおったりして」
「別に話すわけでもないんですけどね」
そこで女性は笑った。
「顔見たら、ああ、今日も来たな、みたいな」
私は中央の画面を見ていた。
右側には女性の顔が大きく映っていた。
そちらは見なかった。
「名前知らん人も、いっぱいいます」
女性は言った。
「向こうも私の名前なんか知らんと思います」
「でも何十年も、毎週同じ時間に会ってる人っているんですね」
喉の奥に変化が出た。
私は少しゆっくり息をした。
視線を文字へ戻した。
世界全部を相手にしない。
次の一文だけ。
「家族とも違うしね」
女性は言った。
「友達って言うほど話してへん人もいるし」
「なんて言うんでしょうね、こういうの」
客席を見た。
誰かが小さく笑った。
女性も笑った。
「まあ、分からんけど」
それで話は続いた。
「ここに来たら、水曜日やなって思えたんです」
私はその文を打った。
一度だけ、
指が止まりかけた。
すぐに続きを聞いた。
「一週間がちゃんと進んでる感じがしたんかな」
女性自身もよく分からないような言い方だった。
「そんな大したことちゃうんですけど」
と付け足した。
私はその言葉も字幕にした。
女性はしばらく、市民会館であった出来事を話した。
発表会。
練習。
忘年会。
若い団員が入ってきたこと。
亡くなった人のこと。
途中から来なくなった人のこと。
知らないうちに杖を使うようになった人。
自分もいつの間にか、椅子に座って歌うようになったこと。
それから、
「来週から練習場所が変わるんです」
と言った。
「新しいところ、きれいらしいです」
客席から誰かが、
「そうそう」
と言った。
女性はそちらを見た。
「エレベーターもあるしね」
また笑いが起きた。
「だから、別に困るわけじゃないんです」
女性は言った。
「歌う場所はあるから」
少し間があった。
「ただ」
そのあとが続かなかった。
私は待った。
客席も待った。
数秒。
女性は口を開いた。
閉じた。
もう一度マイクに近づいた。
「明日から、ここには来られへんのやなと思ったら」
そこでまた止まった。
字幕欄には、
明日から、ここには来られへんのやなと思ったら
だけが残った。
女性は少し笑った。
困ったときにするような笑い方だった。
「どこ行ったらええんやろね」
と言った。
喉が閉じた。
私は右側を見なかった。
文字。
カーソル。
入力欄。
少し息を遅くした。
日。
土。
金。
そこまででやめた。
女性は続けた。
「あ、新しい練習場所行くんですけどね」
客席から笑いが起きた。
女性も笑った。
「そういう意味やないんですけど」
また少し黙った。
「まあ、長いこと、ありがとうございました」
私は文字にした。
長いこと、ありがとうございました。
句点。
送る。
拍手が起きた。
そのあと合唱があった。
歌詞は事前に用意されていた。
私は少し手を休めた。
ヘッドホンから歌が聞こえた。
机を見る。
キーボード。
紙コップ。
進行表。
赤いボールペン。
スマートフォン。
四角いものを五つ数えた。
少しして、視界が戻った。
番組の最後、
司会者が言った。
「それでは、五十三年の歴史に幕を下ろします」
私はその言葉を送った。
少しして、生放送が終わった。
スタッフが片づけを始めた。
ファイルを閉じる。
機材を外す。
放送内容を確認する。
私も記録を見直した。
一か所、
「第二練習室」を「第二研修室」としていた。
数字にも一か所ずれがあった。
確認事項として残す。
誤変換。
聞き取り違い。
そういう言葉を書く。
入力者の感情、
という項目はない。
女性のところをもう一度見た。
話が止まったところには字幕がない。
画面には女性がいる。
息をしている。
客席も黙っている。
でも文字はない。
そのあと、
明日から、ここには来られへんのやなと思ったら
と出る。
また何もない時間がある。
どこ行ったらええんやろね。
字幕は、話されたものを残す。
話されなかったものは残らない。
沈黙。
呼吸。
途中でやめた言葉。
それらは入力できない。
けれど、
何もなかったわけではない。
帰りの電車で、市民会館について検索した。
建物は解体される。
跡地には新しい複合施設ができる予定だった。
図書館。
子育て支援施設。
商業施設。
多目的スペース。
新しいホール。
なくなるわけではない。
機能が移るだけ。
私はそう考えた。
それから、
自分が何をしているのか分かって、
検索画面を閉じた。
電車は川を渡っていた。
泣きそうになった。
私は床を見た。
ゆっくり呼吸した。
日。
土。
金。
木。
そこまで考えて、
やめた。
もう仕事は終わっている。
私は正確でなくていい。
窓の外を見た。
川に夕方の光が残っていた。
涙は出なかった。
翌朝、
私はまた仕事をした。
ニュース。
天気。
事故。
株価。
会見。
聞く。
文字にする。
確認する。
送る。
泣きそうなときは、
今まで通り視線を外した。
呼吸を遅くした。
曜日を逆に言った。
世界全部ではなく、
次の一文だけを見た。
それで仕事は続いた。
放送が終わったあとも、
前の日の女性の声が残っていた。
ここに来たら、水曜日やなって思えたんです。
それから、
文字にならなかった時間。
人が言葉を探して、
見つからないまま立っていた数秒。
私の仕事には、
泣いてはいけないという規則はない。
だから今日も、
泣かない。
必要なあいだだけ。
そのあとについては、
規則がない。


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