湯船とか、温泉とか、プールとか。
水の中にいると、少し安心する。
身体が浮くからなのか、音が遠くなるからなのか、理由はよく分からない。
羊水の中にいた頃も、こんな感じだったのだろうかと思うことがある。
もちろん、覚えているわけではない。
ただ、水の中にいると、外のことを少し忘れられる。
考えなくていいことが増える。
身体だけここに置いておけばいい感じがする。
世の中のことを忘れたい。
入りすぎている日
何か特別なことがあったわけではないのに、頭の中がうるさい日がある。
朝、時間を見る。
天気を見る。
通知を見る。
電車に乗れば広告がある。
店に入れば音楽が流れている。
携帯を開けば、知らない人の出来事まで入ってくる。
ニュース。
誰かの近況。
知らない会社の話。
行ったことのない場所で起きたこと。
別に、全部知りたいわけではない。
それでも、一度目に入ると少し残る。
自分に関係があるのか。
どう思うのか。
何か知っておいた方がいいのか。
夕方になるころには、朝に見たものの半分も覚えていない。
それなのに、疲れだけ残っていることがある。
問題は、量だけではないのかもしれない。
何かをしている途中で通知が鳴る。
画面が光る。
別のことを考え始める。
通知を開かなくても、一度注意はそちらへ向く。
実際、スマートフォンの通知は、確認しなくても作業への反応を遅らせることがあると報告されている。
大きな出来事ひとつに疲れているというより、こういう小さな割り込みが、一日のあちこちに残っている。
そんな日に湯船に入る。
携帯は浴室の外に置く。
通知が来ても分からない。
誰かが何かを投稿していても知らない。
明日の予定も、まだ返していない連絡も、とりあえず外にある。
忘れようとしているわけではない。
ただ、入ってこない。
それだけで、少し楽になる。
お湯が熱い、それくらいになる
肩まで浸かる。
最初は熱い。
しばらくすると慣れてくる。
足を伸ばす。
背中を浴槽につける。
耳の近くで水の音がする。
さっきまで考えていたことが、すぐに全部消えるわけではない。
返していない連絡のことを思い出す。
明日の予定も浮かぶ。
昼に見たニュースも少し残っている。
でも、その横に別のものが入ってくる。
お湯が熱い。
肩が少し軽い。
息を吐くと、身体が沈む。
指先がふやけてきた。
頭の中を占領していたものが、少しずつ場所を譲る。
プールなら、もっと分かりやすい。
息を吸う。
吐く。
腕を動かす。
水をかく。
壁まで行く。
蹴って戻る。
そのあいだは、今日のニュースについて考え続けるのが難しい。
身体を動かすことの方が忙しい。
水に浮いていると、身体の重さもいつもとは違う。
普段は意識しないけれど、立っていても座っていても、身体はずっと自分を支えている。
水の中では、その一部を水に任せられる。
光や音などの刺激を大きく減らしながら水に浮くFloatation-RESTでは、不安や筋肉の緊張が下がり、穏やかさが増したという研究がある。
もちろん、専用の浮遊環境と家の湯船は同じではない。
それでも、身体を支える感覚が変わり、外から入ってくるものも少なくなる。
水の中で安心する感覚にも、何か身体側の理由があるのかもしれない。
羊水の中を覚えているわけではない。
ただ、水に包まれて、身体の重さが変わって、外の音が少し遠くなる。
何もしなくても成立する場所
温泉へ行くと、することはさらに少ない。
服を脱ぐ。
身体を洗う。
お湯に入る。
それだけで成立する。
何かを生産する必要もない。
有意義に過ごす必要もない。
せっかくここまで来たのだから観光した方がいいとか、写真を撮った方がいいとか、有名な店にも行った方がいいとか。
外にいると、そういうことを考える。
でも、お湯に入ってしまうと、急にどうでもよくなる。
今の温度がちょうどいいか。
もう少し深く入るか。
そろそろ出るか。
そのくらいで時間が過ぎる。
何もしないことが、ちゃんと予定になる場所は意外と少ない。
家でも何もしないことはできる。
でも、家には洗濯物がある。
机の上に途中のものがある。
携帯がある。
やろうと思えば、いくらでも何かできてしまう。
温泉には、それが少ない。
だから、わざわざ遠くまで行って何もしない時間をつくることにも、たぶん意味がある。
全部を切る必要はない
世の中には、自分にはどうしようもないことがたくさんある。
今日知らなくても困らないこともある。
今すぐ答えを出さなくていいこともある。
それでも携帯を持っていると、それらは簡単に入ってくる。
休もうと思っているのに、休みながら世の中を見続けることもできる。
だったら、忘れようと頑張るより、入ってくる入口を少し閉じる方がいい。
ここで大事なのは、全部を切ることではない。
スマートフォンやSNSから完全に離れれば、必ず気分が良くなるというほど研究結果は単純ではない。
一方で、使う時間を減らしたり、通知の回数を減らしたりすることで、ストレスや気分などに改善がみられた研究はある。
スマートフォンそのものは使えるまま、モバイルインターネットだけを二週間使えなくした実験では、注意や主観的なウェルビーイングが改善した。
携帯を捨てたわけではない。
世の中から消えたわけでもない。
ただ、いつでも何かが入ってくる状態ではなくした。
たぶん必要なのは、デジタルを嫌うことでも、何日も消えることでもない。
自分が何を見るかだけでなく、いつ入ってくるかを自分で決められる時間を持つこと。
湯船は、それを自然にやってくれる。
触らないように我慢し続けなくても、携帯を浴室の外に置けばいい。
そのあいだ、世の中は少し遠くなる。
上がったあと
湯船から出る。
身体を拭く。
水を飲む。
机に置いていた携帯をひっくり返す。
通知は何件か増えている。
ニュースも更新されている。
世の中は、さっきとほとんど同じように続いている。
何も解決していない。
返さなければいけない連絡も残っている。
明日の予定も変わっていない。
それでも、入る前とは少し違う。
さっきまで今すぐ返さなければいけない気がしていたものを、あとで返せばいいと思えることがある。
頭の中いっぱいにあった問題を、問題の一つとして見られることもある。
大した変化ではない。
でも、それくらいで十分な日もある。
こちらが見ていなくても、世の中は進む。
湯船に入っている二十分くらい、知らないことが増えても困らない。
上がれば、また戻れる。
必要なものだけ拾って、続きを始めればいい。
ずっとつながっていられるからこそ、つながらない時間くらいは、自分で決めてもいい。
小さなガイド
世の中から少し離れたい日は、全部を切ろうとしなくてもいい。
- 携帯を、しばらく手の届かない場所に置く。
- 湯船や散歩など、画面を見ない時間をしばらくつくる。
- 戻りたくなったら戻る。長く続けることを目的にしない。
忘れようと頑張るより、入ってこない時間を少しつくる。
そのあいだ、知らないことが少しくらい増えてもいい。



コメント