誰かと一緒にいることについて考えるとき、なぜか美術館のことを思い出す。
同じ入口から入ったのに、気づけば別々の場所にいる。
僕はずいぶん前の部屋に残っていて、相手はもう二つ先の展示を見ているかもしれない。
そこで待っていてほしいとは思わない。
僕も急いで追いつこうとは思わない。
それぞれが、それぞれの速度で見ればいい。
そして出口の近くでまた会って、
「何が良かった?」
と聞けたら、それで十分なのだと思う。
たぶん、人と暮らすことにも似たようなところがある。
朝から夜まで同じことをしている必要はないし、考えていることを全部共有する必要もない。
知らない部分が残っていてもいい。
むしろ、その方がいいのかもしれない。
今日は何をしていたのか。
最近、何を考えているのか。
どうしてそれを好きなのか。
何年一緒にいても、まだ聞いてみたいことが残っている。
そんな人がいい。
僕は一人でいる時間が好きだ。
映画を観たり、写真を撮ったり、知らない道へ入ってみたり、何も目的を決めずに街を歩いたりする。
誰かといることで、その時間を失いたいとは思わない。
同じように、相手にも僕の知らない時間があってほしい。
僕が知らない場所へ行って、僕が読まない本を読んで、僕には分からないことに夢中になっていてほしい。
そして、ときどき、
「これ、たぶん好きだと思う」
と何かを渡してくれる。
写真一枚でもいいし、映画でも、音楽でも、道端で見つけた妙なものでもいい。
僕もそうしたい。
誰かを好きになることは、相手と同じ人間になっていくことではないと思う。
二人の違いが少しずつ消えて、何でも一緒にするようになることでもない。
むしろ、この人は自分とは違う世界を見ている。
そのことを面白いと思い続けられることなのかもしれない。
もちろん、ずっと静かでいたいわけでもない。
くだらないことで笑いたいし、突然遠くへ行くこともあるだろうし、スーパーで何を買うかで迷ったり、夜中にどうでもいい話をしたりもしたい。
特別な時間より、そういう時間の方が、あとになって残る気もしている。
以前は、自分とよく似た人なら分かり合えると思っていた。
でも最近は少し違う。
似ていることより、違うままで話せること。
分からないときに、分かったふりをしないこと。
沈黙を急いで埋めないこと。
一人になりたい時間を、拒絶だと思わないこと。
そして、何か面白いものを見つけたとき、ふと相手の顔が浮かぶこと。
そういう方が、たぶん大切なのだと思う。
どこにそんな人がいるのかは知らない。
もしかすると、もうどこかですれ違っているのかもしれないし、まだ一度も同じ街を歩いたことすらないのかもしれない。
探しに行けば見つかるものなのかも、よく分からない。
だから、とりあえずここに書いておくことにした。
もしこれを読んで、「少し分かる」と思ったなら、あなたが最近見つけたものを、ひとつ教えてください。
映画でも、場所でも、写真でも、名前のついていない感覚でも。
そこから話せたらと思っています。

