さて、何から話そうか

窓辺にいる二人の人物を後方から捉えた光景。左側には夕日の暖かな光が差し、右側には青く暗い空が広がっている。

若い頃の自分に会えるとしたら、何歳の自分に会いたいだろう。

その人は今、何をしているだろう。

伝えたいことなら、いくつもある。

けれど、その人が最近何をしていたのか、私はすぐには思い出せない。

もし過去に戻って、若い頃の自分にアドバイスできるとしたら、何を伝えますか?

考えてみると、最初に浮かんだ言葉がある。

「今の自分を、未来の自分のためだけに使わなくていい。」

いつかのための今日

将来のために勉強する。生活のために働く。何かを手に入れるために努力する。

私たちは、今していることに、未来の理由を与えるのが上手い。

休むことさえ、明日のために必要な行為になる。楽しかった時間にも、何かを得られたかどうかを求めてしまう。

今は我慢して、いつか好きなことをする。

けれど、その「いつか」が訪れたとき、そこにも生活があり、悩みがあり、さらに先の未来がある。

では、今日を今日のために使える日は、いつ訪れるのだろう。

未来の自分も、そのときには「今」を生きている。

何かの役に立つからではなく、ただ過ごしてよかったと思える時間があってもいい。

そんなことを伝えたい。

けれど、もしあの頃の自分に、

「それは、いつからできるようになるの?」

と聞き返されたら、私は答えに困ると思う。

今の私だって、いつもそうできているわけではないからだ。

知っているはずの相手

若い頃の自分に会えば、その後の人生を教えることができる。

どんな選択をしたのか。何が起きたのか。何を失い、何が残ったのか。

けれど、結果を知っているからといって、当時の自分に何ができたのかまで、正確にわかるわけではない。

今なら避けられると思う失敗も、あの頃には避けようがなかったかもしれない。

何を怖がっていたのか。何に期待していたのか。誰の言葉を信じていたのか。

出来事は覚えていても、そこに至るまでの迷いは、ずいぶん忘れている。

たとえば、あの頃の自分に「今、何が好き?」と尋ねてみる。

かつて何時間でも続けていたこと。

特別な理由もなく気になっていたもの。

名前は覚えていても、どうしてあんなに好きだったのか、今ではうまく説明できないもの。

あの頃には、当たり前に知っていたことだった。

私はその後、知らなかったことをたくさん覚えた。

一方で、もう思い出せないこともある。

何かを身につけることと、何かを持ち続けることは、同じではないらしい。

未来のことなら、今の私の方が知っている。

けれど、あの頃の毎日については、その人に聞かなければわからないことがある。

そう思うと、用意していた助言を話すより、少し聞いてみたくなる。

まだ知らない私

もし本当に会えたなら、何を話すだろう。

私は、これから起こる出来事を、つい口にしてしまうかもしれない。

あの人とは、こうなる。

それを選ぶと、こんなことが起きる。

けれど、目の前の自分にとっては、どれもまだ起きていないことだ。

その人は、明日何をするつもりなのだろう。

何を楽しみにしているのだろう。

そんなことを聞いているうちに、教えに来たことを忘れてしまいそうだ。

そして、ふと思う。

十年後の自分が、今の私に会いに来たらどうだろう。

その人は、今の悩みがどうなったのか、今日の選択が何につながったのかを知っている。

一方で、私が今日考えていたことや、何でもない時間に面白がっていたものを、すべて覚えているとは限らない。

もし未来の自分に、今何をしているのかと尋ねられたら。

私はきっと、何かを答えるだろう。

その答えを聞いて、未来の自分は何を思い出すだろうか。

未来のお前が、今のお前を羨ましいと思うことだってある。

それは若さや可能性だけの話ではない。

今は当たり前に思っている何かを、未来の自分はもう持っていないかもしれない。

だからといって、失うかもしれないものを数えながら毎日を過ごしたいわけではない。

未来の自分が何を懐かしむのかは、その人に任せておけばいい。

今の私には、まだ今日が残っている。

もし、あの頃の自分に会えたなら

最初は、過去の自分に何を教えようかと考えていた。

けれど、今は少し違う。

会う年齢を選べるなら、伝えたいことが最も多い時期ではなく、今の私がどんな毎日だったのか、うまく思い出せない頃を選ぶかもしれない。

会えたら、まず話を聞いてみたい。

最近、何をしているのか。

どんなものが好きなのか。

明日、何をするつもりなのか。

その話を聞いてから、もし伝えられそうなら、最初に考えた言葉を渡そうと思う。

「今の自分を、未来の自分のためだけに使わなくていい。」

きっと、あの頃の私には、すぐには理解できないこともあるだろう。

それでも、何かのために我慢しているのなら、少しくらい今の時間を自分のものにしてほしい。

そして、もう一つ。

「未来のお前が、今のお前を羨ましいと思うことだってある。」

どうして、と聞かれたら、私にもまだわからない、と答えると思う。

あの頃の自分が持っていたものを、私はすべて覚えているわけではない。

それに、その人がこれから生きる時間を、私の知っている結果だけで決めてしまいたくない。

話が終われば、私は今の時間に戻る。

まだ終わっていない用事がある。考えなければならないこともある。

何かが解決したわけではない。

ただ、あの頃の自分に何を伝えるかを考えているうちに、今の自分が何を話せるのか、気になり始めた。

十年後には、忘れてしまうことがあるだろう。

けれど、今なら覚えている。

最近、何をしていたのか。

何を楽しみにしているのか。

明日、何をするつもりなのか。

もし十年後の自分が会いに来たら、何を聞いてくれるだろう。

何かを教えに来たその人が、私の話を聞いてくれるなら。

私は、何から話そう。

もし過去に戻って、若い頃の自分にアドバイスできるとしたら、何を伝えますか?

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