日付にならない仕事

朝の光が差し込む室内で、木の机にノートパソコン、充電中のスマートフォン、マグカップが置かれ、奥に食器や植物が見える

一日の終わりに、何も残っていないことがある。

つくったものもない。

増えたものもない。

それでも、その一日は空白だったのだろうか。

食べて、使ったものを洗い、減っていたものを補充する。

スマートフォンを充電し、濡れたものを乾かす。

疲れれば、途中で横になる。

どれも、終わったあとに何かが増える行為ではない。

むしろ、始める前とよく似た状態へ戻している。

使える。

着られる。

動く。

次の日も困らない。

そこには、完成したもののような分かりやすい形がない。

だから、一日を振り返ったときに抜け落ちやすい。

ものをつくるときには、「できた」と言える瞬間がある。

文章なら公開する。

写真なら書き出す。

金属なら切って、合わせて、接合する。

作品なら、一度その場から離れて見る。

その瞬間には日付がつく。

公開した日。

完成した日。

予約した日。

何かが始まった日は、あとから見つけやすい。

けれど、できたものは、そこで時間から切り離されるわけではない。

金属には錆が出る。

木は動く。

締めたものは緩む。

照明の角度はずれる。

Webなら、リンク先がなくなる。

情報が古くなる。

ソフトウェアが更新される。

昨日まで正しく表示されていたものが、何も触っていないのに崩れることもある。

完成した日は残る。

公開日も残る。

そのあと何度確かめたかは、ほとんど残らない。

何かを始めるということは、その瞬間から、維持するものを一つ増やすことでもある。

公開したページには更新する日が続き、使い始めた道具には手入れする日が続く。

投稿には、ちゃんと動いているか確かめる時間が続く。

始まりには日付がつく。

そのあとに続く時間には、つかないことが多い。

あとからカレンダーを見ると、始めた日は残っていて、その後に使った時間の方が空白に見える。

展示を見に行くと、そこには完成した状態がある。

作品が置かれ、照明が点き、映像が流れている。

ケーブルは、できるだけ見えない場所を通っている。

その状態だけを見れば、最初からそこにあったようにも見える。

でも、その前には測る時間があり、運ぶ時間があり、合わなくてやり直す時間がある。

片づける時間も、会場を離れたあとにちゃんと動いているか気にする時間もある。

うまくいったときほど、それらは完成した景色の後ろへ消えていく。

見えているのは、最後に残った状態だけだ。

生活も、少し似ている。

何かが止まると、それまで動いていたことが急に見える。

電球が切れる。

機械が止まる。

ページが表示されなくなる。

水が出なくなる。

その瞬間、昨日までの「普通」が、一つの状態だったことに気づく。

反対に、何事もなく動いていた日は覚えにくい。

水道から水が出た。

端末の電源が入った。

ページが開いた。

使ったものを、また使える状態に戻した。

何も起きなかったように見える日にも、手を動かした時間はある。

身体にも、似た時間がある。

眠る。

食べる。

水を飲む。

風呂に入る。

疲れたら休み、痛ければ動きを減らす。

それらは、昨日より遠くへ進むためとは限らない。

今日から明日へ、身体を渡すためにする。

何かを増やす時間ではなく、今あるものを次の日まで持たせる時間。

成果として残らないまま、一日のかなりの部分を使うことがある。

ただ、維持することを何でも肯定したいわけではない。

掃除をしてもまた汚れる。充電してもまた減る。

直してもまた古くなる。

維持できない日もあるし、直さずに置いておくものもある。

続けるより、手放した方がいいものもある。

残しているという理由だけで、残し続ける必要はない。

それでも、「今日は何もできなかった」と思うとき、自分が何を数えて、何を数えなかったのかは少し気になる。

つくった。

買った。

公開した。

完成した。

そういうものは数えやすい。

昨日にはなかったものが、今日はあるからだ。

では、壊れないようにした時間はどうだろう。

切らさなかった時間。

次に使える状態へ戻した時間。

古くなったものを書き換えた時間。

悪くならないように休んだ時間。

何も起きなかったので、思い出す理由のない時間。

それらは、一日のどこに残るのだろう。

作業の結果が「昨日と同じ」に見えると、その時間は記録から抜け落ちやすい。

増えていない。完成していない。大きく変わっていない。

けれど、その「変わらなかった」が、何もせずに保存された状態とは限らない。

戻した。

洗った。

確かめた。

休んだ。

そうして保たれたものがある。

カレンダーを後から見たとき、ほとんど空白に見える日がある。

写真もない。

文章もない。

完成したものもない。

何をしていたのか、すぐには思い出せない。

ただ、次の日は始まっている。

端末は使えた。

必要なものはまだあった。

身体も、そこまで来ていた。

始まりの日には、日付がつく。

完成した日にも、日付がつく。

その間を保っていた日には、何もつかないことがある。

何も増えなかった。

それでも、なくならなかったものがある。

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