Quiet Letter 13

秋の夕暮れの台所で、そうめんと残った野菜を入れた鍋から湯気が立つ淡い水彩画

夏と秋のあいだに残ったものへ送る手紙。

夏の終わり、夜が少しずつ肌寒くなってくると、秋が来たのだと思う。

寒暖差、とくに夜の冷えは、私にとって毎日のように耐え難い。

そんな空気を感じ始める頃、

もう、そうめんの季節も終わりかな。

と、残ったそうめんを見て思う。

だから最近は、そのそうめんでラーメンを作っている。

もちろん、具材は日によって違う。

いつも余っているもので作るから。

玉ねぎがある日。

にんじんがある日。

もやしやキャベツが残っている日。

主役のそうめんでさえ、夏から残ったものだ。

料理をしていると、

「次はどうする?」

が何度も出てくる。

今日はどんな味にしようか。

何を入れようか。

考えることにすら疲れ切った日や、自分では思いつかない案がほしい日は、最近ChatGPTに相談する。

「ラーメンを作りたい。材料はそうめんとニンニク、玉ねぎ、にんじん、もやし、キャベツがある。全部使わなくてもいい。」

そこからまた、小さな選択が始まる。

にんにくは何片にするか。

そうめんは二束か、三束か。

野菜はどこまで入れるか。

大きい鍋にするか、中華鍋にするか。

調味料は今なのか、沸騰してからなのか。

一つ決めても、すぐ次が来る。

この前も、野菜を切って鍋へ入れていったら、思っていたより具材が多くなった。

玉ねぎ、にんじん、ピーマン、キャベツ。

上から見ると、鍋の中はほとんど野菜だった。

「水どれぐらい入れたらいい?」

数字を聞いて、今度は鍋を見る。

少し入れる。

まだ少ないように見える。

でも、全部を水の下へ沈める必要はない。

野菜が少し出るくらいで止める。

火にかける。

次は、シャンタン。

「もう入れていいんだっけ?」

沸騰してからなのか。

小さじはいくつなのか。

さっきまで水の量を考えていたのに、数分後にはもう別のことを考えている。

その少し前には、にんにくを三片にするか迷っていた。

いつもは四つくらい入れる。

そうめんも、二束で足りるのか少し迷った。

料理を始める前は、

「今日はこれを作る」

と一つだけ決めたつもりだった。

けれど、始めてみると、その中には小さな選択がいくつも入っている。

切る。

入れる。

待つ。

見る。

まだかと思う。

もういいかと思う。

味を見る。

少し足す。

また待つ。

レシピに数字が書いてあっても、目の前にあるものは毎回少し違う。

玉ねぎが多い日もある。

野菜を入れすぎる日もある。

思っていたより鍋がいっぱいになる日もある。

だから、数字を見て、鍋を見て、また数字を見る。

途中で何度も、

「次は?」

と思う。

でも、しばらくすると野菜がしんなりして、さっきまで鍋の上まであったものが少し沈む。

湯気が出る。

スープの色が変わる。

そうめんを入れる。

最後には、最初からそうなる予定だったような顔で、一つの料理になっている。

何について、どれくらい迷っていたのかは、食べる頃にはもうあまり覚えていない。

鍋の中では、夏から残っていたそうめんと、その日に残っていた野菜が一緒になっている。

美味しければ、それでだいたい満足する。

ただ最近は、作りすぎたものをそのまま食べすぎて、お腹が張り裂けそうになってから後悔することも多い。

夏のそうめんを片づけているつもりが、秋の夜に食べすぎて苦しんでいる。

そんな最近の食事事情です。

またね。

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