夏と秋のあいだに残ったものへ送る手紙。
夏の終わり、夜が少しずつ肌寒くなってくると、秋が来たのだと思う。
寒暖差、とくに夜の冷えは、私にとって毎日のように耐え難い。
そんな空気を感じ始める頃、
もう、そうめんの季節も終わりかな。
と、残ったそうめんを見て思う。
だから最近は、そのそうめんでラーメンを作っている。
もちろん、具材は日によって違う。
いつも余っているもので作るから。
玉ねぎがある日。
にんじんがある日。
もやしやキャベツが残っている日。
主役のそうめんでさえ、夏から残ったものだ。
料理をしていると、
「次はどうする?」
が何度も出てくる。
今日はどんな味にしようか。
何を入れようか。
考えることにすら疲れ切った日や、自分では思いつかない案がほしい日は、最近ChatGPTに相談する。
「ラーメンを作りたい。材料はそうめんとニンニク、玉ねぎ、にんじん、もやし、キャベツがある。全部使わなくてもいい。」
そこからまた、小さな選択が始まる。
にんにくは何片にするか。
そうめんは二束か、三束か。
野菜はどこまで入れるか。
大きい鍋にするか、中華鍋にするか。
調味料は今なのか、沸騰してからなのか。
一つ決めても、すぐ次が来る。
この前も、野菜を切って鍋へ入れていったら、思っていたより具材が多くなった。
玉ねぎ、にんじん、ピーマン、キャベツ。
上から見ると、鍋の中はほとんど野菜だった。
「水どれぐらい入れたらいい?」
数字を聞いて、今度は鍋を見る。
少し入れる。
まだ少ないように見える。
でも、全部を水の下へ沈める必要はない。
野菜が少し出るくらいで止める。
火にかける。
次は、シャンタン。
「もう入れていいんだっけ?」
沸騰してからなのか。
小さじはいくつなのか。
さっきまで水の量を考えていたのに、数分後にはもう別のことを考えている。
その少し前には、にんにくを三片にするか迷っていた。
いつもは四つくらい入れる。
そうめんも、二束で足りるのか少し迷った。
料理を始める前は、
「今日はこれを作る」
と一つだけ決めたつもりだった。
けれど、始めてみると、その中には小さな選択がいくつも入っている。
切る。
入れる。
待つ。
見る。
まだかと思う。
もういいかと思う。
味を見る。
少し足す。
また待つ。
レシピに数字が書いてあっても、目の前にあるものは毎回少し違う。
玉ねぎが多い日もある。
野菜を入れすぎる日もある。
思っていたより鍋がいっぱいになる日もある。
だから、数字を見て、鍋を見て、また数字を見る。
途中で何度も、
「次は?」
と思う。
でも、しばらくすると野菜がしんなりして、さっきまで鍋の上まであったものが少し沈む。
湯気が出る。
スープの色が変わる。
そうめんを入れる。
最後には、最初からそうなる予定だったような顔で、一つの料理になっている。
何について、どれくらい迷っていたのかは、食べる頃にはもうあまり覚えていない。
鍋の中では、夏から残っていたそうめんと、その日に残っていた野菜が一緒になっている。
美味しければ、それでだいたい満足する。
ただ最近は、作りすぎたものをそのまま食べすぎて、お腹が張り裂けそうになってから後悔することも多い。
夏のそうめんを片づけているつもりが、秋の夜に食べすぎて苦しんでいる。
そんな最近の食事事情です。
またね。


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